2020/08/31 アレルギー科待合室の皆さんへ
根掘り葉掘り ~ 院長とアレルギーの関わり ~
全国唯一のアレルギー科
私は群馬大学医学部小児科学教室での研修を経て、佐久総合病院(現佐久医療センター)に12年間勤務しました。その当初から「農業アレルギーに関する調査研究班(厚生省助成)」の研究に関わり、同時に「アレルギー科」の診療にも携わるようになりました。実は佐久病院には私の赴任前から国内に唯一の「アレルギー科」があったのです。
当時まだ標榜科として認められていなかったため、全国どこにも「アレルギー科」はありませんでしたが、佐久病院にはれっきとした「アレルギー科」が存在していました。院外の看板には掲示はいものの、院内には独立した科として掲示され、「アレルギー科」のカルテも作られ、ドアに掲示のある専用の診察室もありました! 当時アレルギーの研究が盛んだった群馬大学小児科出身の医師が診療と研究のために開設し、長野県内全域から大人の喘息や花粉症の患者さんが検査や治療のために集まっていました。
アレルギー科での日々
アレルギー科では、ほとんど毎日小児から成人までの気管支喘息、花粉症、アトピー性皮膚炎といった即時型のアレルギー疾患を年齢や科に関係なく同時に診ていました。人数も多く外来が終わるのはいつも午後、高齢のぜんそく患者さんの診察中に、病棟で担当する未熟児の急変で呼ばれることも日常的なことでした。
群馬大学小児科のアレルギー班にも属し、花粉症や職業アレルギーのフィールドワーク、小児喘息の治療に関わる研究などを行い、学位も取得しました。
特に下伊那郡松川町での人工授粉による職業性リンゴ・ナシ花粉症の調査は、「実態を知りたい!」という果樹農家の皆さんや保健師さんの熱意と後押しもあり、診断のためのアレルゲンの作成から始まり、皮内テストや血液検査も含む疫学的調査、果樹園下草のイネ科花粉症の調査、さらには子どもたちの実態調査まで行いました。
一方、皮膚科と共同で長野営林局管内の蜂アレルギーの調査を行い、それを機にアナキット(エピネフリンと注射器等の携帯セット)の輸入と営林署の現場への導入が特例で承認されました。その後自己注射器のエピペンが発売され、食物や薬物によるアナフィラクシーにも適応が順次拡大されました。
ぜんそく教室と東信地区小児ぜんそく親の会
この間啓蒙活動にも力を入れ、皮膚科と共同で「アトピー教室」、小児科主催で「ぜんそく教室」を開催しました。「ぜんそく教室」は、熱心なご家族や養護教諭の協力もあり、東信地区小児ぜんそく親の会の活動として長く続けることになりました。最盛期の会員数は300人近くに達しました。今の時代には想像できないかもしれませんが、当時は喘息発作での入院は日常茶飯事、病気で学校に行けないお子さんのための院内学級には喘息のお子さんがいつも在籍していました。1990年代から吸入ステイロイド薬などの治療の進歩とともに重症喘息は減少し、最近では急性発作での受診、入院ともめっきり少なくなりました。ごく一部の患者さんをのぞき、不安もなく旅行にでかけ、サッカーでも野球でも好きなことに打ち込める、幸せな時代になったものだと感じているこの頃です。
ぜんそく教室と親の会の活動暦
1984年 第1回こどものためのぜんそく教室(佐久総合病院小児科主催)
1987年 第6回ぜんそく教室(以後は東信地区小児ぜんそく親の会主催)
1988年 参加者が増加、第7回から夏と冬に佐久と上田の2会場で開催(年4回)
1989年 第1回喘息児スキーキャンプ(八千穂高原スキー場ジュニアランド)
~ 1996の第8回まで実施
2004年 第40回ぜんそく教室(最終)
この間に開催したぜんそく教室はのべ74回、発行した会報「トライアングル」は通算35号となりました。トライアングルには、医師と家族と養護教諭が手を携えて喘息児を支えるという意味がこめられていました。会の活動は、気管支喘息の治療管理の進歩により深刻な悩みを抱える患者さんが減少し、2004年をもって休止しました。この間、佐久総合病院の小児科医、小児科看護師、佐久総合病院付属看護学校生、地域の養護教諭、そして多くの熱心なご家族の支えで活動を続けることができました。心より御礼申し上げます。
失敗談
院長も花粉症があります。研究のためにスギやシラカバなどの花粉を大量に採取しているうちに悪化しました…。しかし、もともと抗ヒスタミン剤は眠くなるので飲んだことがありませんでした。
ある時、薬剤師会の講演に行く際のことでした。発売直前の試供品のザジテン点鼻薬が目に止まり、公演中に鼻が出ないよう一回シュッと噴霧して出かけました。ところが、会場についた頃から何やら眠気が襲ってきたのです。慌ててコーヒーを飲んだりメントールを嗅いだりして、どうやら講演会を乗り切りました。講演が終わってひとしきり、眠気が取れた頃になりふと気がつきました。そう、ザジテンの点鼻です!
内服の抗アレルギー剤として眠気はあることは承知していましたが、まさか点鼻の1噴霧でこんなことになるとは思いませんでした(不覚!)。その後眠気の少ない抗ヒスタミン剤が次々と開発されていますが、その一件から2度と服用しないようにしています。そのため、窓を閉めていてさえ時々大きなくしゃみが聞こえるかもしれませんが、ご容赦ください。
長男は喘息
長男は2歳の誕生日頃から喘息になりました。朝から一日喘息の患者さんばかりを診て、疲れて帰ってくるとそこでまた喘息の長男がコンコン咳き込んでいる…。
「咳がひどいよ!薬は飲ませた?」と妻に言うと、「あなたが帰ってきたらひどくなったのよ!」と…喘息児を抱えた家庭ではよく見られそうなシーンが我が家でもしょっちゅう。泣く子を抑えてネブライザーをしたり、1987年に発売されたばかりのテオドール顆粒を飲ませたり…。
それ以前は、今のクラリスロマイシンよりさらに苦いアミノフィリンという粉薬が使われていました。溶けない顆粒は飲みづらかったけれど、苦味が少なく、朝晩の服用で切れ目なく効くのは画期的でした。その後さらに進化した甘くて水に溶けるテオドールドライシロップが発売され、夢のような薬だと感激した覚えがあります。
長男の喘息はなんとか10年ほどで卒業できましたが、喘息児のいるご家庭の苦労を身にしみて感じた年月でした。