みなさんからのメッセージほりせんせいの今
近況、そしてお便りなどへのお礼
閉院からはや3ヶ月の月日が過ぎてしまいました。初め1ヶ月は紹介状作成に、次の1ヶ月は様々な医療機器、備品、資材等の整理搬出に費やしました。ここ1ヶ月は、空っぽになった院内を少し模様替えしてワークスペースを作り、法人の閉鎖に関わる事務作業を進め、ようやく先が見えてきたところです。
幸いなことに、機器や備品から使いかけの資材に至るまでの大部分を、7月1日小諸市に開院した「こどもクリニックこもろ」に引き取っていただき、無駄なく再利用していただくことになりました。(院長は、信州上田医療センター小児科部長の島崎先生です!) ちなみに、当クリニックを支えてくださった看護師のお二人もオープニングスタッフとして加わっています。上田でないのが本当に残念ですが、それでもこの地でやってきたことの一部だけでも引き継がれて、小師周辺の小児科医療のお役に立てることを嬉しく思っています。地理的には国道18号から小諸市内に入ってすぐのあたり(高速なら降りてまっすぐ下っていけば5分あまり)ですので、東御市や上田の東部も診療圏に入るかもしれません。何かの際に、ご利用いただく機会があれば幸いです。
院内が空っぽになり、クリニックにかかってくる電話も途絶えるようになり、ちょっと寂しさを感じもするこの頃ですが、この1ヶ月には嬉しいこともありました。開院2年後頃から喘息で通院されていたM君、15年余り前にから通院されていたWちゃんのお母様から、おもいがけず感謝のお気持ちの綴られたメールが届いたのです。もう成長されて元気になって長い年月も経っているにも関わらず、閉院のことを伝え聞いてのお便りでした。他にも、Wさんから閉院の日に撮った写真を添えて近況のメールをいただいたり、犬の散歩で出会った近くの方に、新しくした看板のデザインを見て涙が出てしまってと言われたり、これを書いている今日も嬬恋村のMさんが採ったばかりの高原キャベツをどっさり届けてくださったり…本当に自分の方が涙が出るくらい嬉しい出来事がいくつもありました。
もうこれらの方々に直接報いることは何もできませんが、集団健診や初期救急センターなどまだ残されている仕事を通じて次の誰かに少しでも報いていけるよう努めたいと思います。
堀先生
大変ご無沙汰しております。喘息でお世話になりましたMと申します。家族より本年3月末をもって閉院されたと聞き、どうしても感謝の気持ちをお伝えしたく、メールにて失礼致します。
クリニックに通い始めたのは、私が3歳(1995年)頃からだったかと思います。咳が原因で満足に保育園に通えなかったり、深夜に咳が止まらなくなったりと、両親も私も苦しんだ幼少期でした。しかしなぜか、クリニックに行くと自然と症状が落ち着いたことをよく覚えています。院内の木の匂いと先生の声で、安心していたのかなと思います。
HP拝見し驚きました。平時の忙しさに加えて、2020年以降コロナウイルスのと戦いの中で心身共に大変な時期だったかと思います。
今後も緊急センターでのご勤務や学校医など継続されるかと存じますが、ご無理なさらず適度にお休み頂ければ幸いです。
直接お礼に伺いたいところですが、遠方にいるためメールでのご連絡となりお詫び申し上げます。
お世話になり有難う御座いました。
当時は小児喘息でお世話になりました、Wの母です。
閉院された事を知りませんでした…
HPを観て色々な想いで涙が込み上げてきました。多くの患者の1人ですので覚えていらっしゃらない事を承知ですが、ただただ先生や看護師さんにお礼を申し上げたい気持ちでこちらにメールをさせて頂く事をお許し下さい。
初めて堀先生を拝見したのはWの7ヶ月検診を青木村で受けた時でした。一見、真面目で話しかけ難そうな先生(何か怒られるかと怖かったんです)が、一瞬ニコっと赤ちゃんに微笑み、あやしながら診察する姿を見てそのギャップに心を撃ち抜かれました(笑)子供が好きな方なのだと微笑ましく思い、何かあったら堀先生に診て頂きたいとすぐ思いました。
主人の転勤で引っ越して来たばかりでこちらに身寄りがない私は初めての子育てに奮闘しておりました。よく熱を出しよく風邪もひいてた初華でした。身体が弱いのは私の産み方?育て方が悪いせい…?また風邪?と言われると自分を責められてる気持ちでした。
幼稚園にあがり咳が長引く事が増え、堀先生に診て頂くと小児喘息と診断されました。私の兄が重い小児喘息で、制限の多い生活に不自由してました。喘息と言われた瞬間、無知な私はこれからどうなるのかと失望し、ダメな母親のせいだと自分を責め言葉を失いました。
すると、そんな私を察して下さったのか「お母さんのせいじゃ無いですよ、自分を責めないで」と仰ってくれました。その一言で私は心が救われ思わず涙が溢れました。先生のお子さんも喘息だったと話して下さり、いつかは絶対に治ると励まして頂きました。
それから小学校高学年になると身体も大きく育ち喘息も出なくなりすっかり病院要らずの身体になって堀先生のクリニックにお世話になる事もなくなりました。
中学生になり体調を崩した時、堀先生のクリニックはいつも激務だから小児でもないのに迷惑だろうな…と思いましたが堀先生にしか診ていただいた事が無かったので受診させて頂きました。その時いつまでお世話になれますかね?と看護師さんに尋ねると、「いつまででもいいんですよ。」といつもと変わらぬ優しい笑顔で応えて下さいました。
最後に伺った時から数年経ってた為、先生も少しお年を取られた様子でしたが相変わらず忙しくされてる姿に、いつまでも元気でいて頂きたいと思いました。
それから今日までお世話になる事も無く、閉院した事を知りました…
本当にお世話になりました。一度も病院に行くのを嫌がらず、受診や注射も泣いた事はありませんでした。これはWが最初に出会った先生とクリニックのスタッフ皆さんの影響だと確信してます。30年もの間、堀先生、奥様、看護師さん、スタッフの皆様、お疲れ様でした。
Wは中2の春から子宮内膜症を患い現在もホルモン剤の投薬治療を続けていますが今は普通に生活できるようになりました。もう高校2年生です。
開業前から30年以上に渡り、私達の様に先生に救われた患者さんが沢山いらっしゃって命を繋げている事と思います。
先生がどれだけ多くの時間を医療に費やされた事でしょう。地域に先生の様な方が居られた事を誇りに思い感謝しております。どうかこれからはお身体をご自愛しながら、平穏な日常を送られますよう願っております。
堀先生
堀こどもクリニックでお世話になっていたEの母です。
先日お葉書をいただき、ありがとうございました。堀先生からお手紙きたよーと伝えたら「堀しぇんしぇ!?堀しぇんしぇ!?」と目を輝かせて毎日眺めています𖦹’ ‐ ‘𖦹
咳も落ち着き、いただいていたお薬を飲まなくても大丈夫になりました(^^)
いまだに、病院に行くと言うと「ほりしぇんしぇ?」と言います。
ほり歯科クリニックもここの先生のお父さんが堀先生だよと言うと嫌がらずウキウキで行ってくれます。
一緒に撮った写真を送ります。もしそちらにも英翔との写真があればいただけると嬉しいです。
日々の寒暖差も激しいですが、ご自愛ください🍀